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端午の節句のお祝い・料理・飾り

端午の節句って何するの?由来や意味について

2017/12/03

 

3月3日はひな祭り(桃の節句)で女の子の日。

では、男の子の日は?ということなのですが、男の子の節句は端午の節句です。

現在では「こどもの日」として祝日にもなっていますよね(^^)

 

端午の節句

 

我が家でも毎年弟の鯉のぼり・鎧兜が飾られていました。

子供の頃、鎧兜が怖かったんですよね…(-_-;)

端午の節句は昔からある日本の行事ですが、なぜ鯉のぼりや兜などの五月人形を飾るのか知っていますか?

今回は、端午の節句がどういう行事なのかまとめてみました♪

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端午の節句とは?

 

日本は昔より季節の変わり目を「節目」とし、収穫した作物を季節ごとに神様にお供えして感謝する習慣がありました。

また、季節や物事の節目には災害をもたらす邪気が入りやすいと考えられており、邪気払いをして老若男女を問わず、皆の幸福を願う行事を行ったりもしてきました。

 

その中で最も重要な節目を「節句」といい、江戸時代の初期には「重要な年中行事」として「五節句」が制定されました。

 

五節句とは、中国から伝わり日本の宮中行事と合わさったもので、

人日(じんじつ、1/7)

上巳(じょうし、3/3)

端午(たんご、5/5)

七夕(しちせき、7/7)

重陽(ちょうよう、9/9)

の年5日に儀式を行う日と定められました。

 

 

端午の節句っていつ?

 

端午の節句の端午とはどういう意味なのでしょう?

 

端午の端は「物のはし・はじめ」という意味で、元々端午とは「月はじめの午の日」のことを指し、今のように5月と限られたものではなく毎月あるものでした。

その後、午は五と読みが同じであることから毎月5日を端午というようになり、さらに旧暦では午の月は5月にあたることから5が重なる5月5日を端午の節句と呼ぶようになりました(^^)

 

全国的に5月5日が端午の節句とするところが多いですが、旧暦から新暦への移行にあたり日にちが異なる地域もあります。

そういえば、仙台の七夕祭りも一家月遅れの8月に行われますよね♪

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端午の節句の由来は?

 

日本では田植えの時期である5月になると、田の神様(稲の神様)に豊穣を祈願するため早乙女(さおとめ)と呼ばれる若い娘たちが家や神社にこもって田植えの前に穢れを払う「五月忌み(さつきいみ)」という風習が行われていました。

古くから邪気払いの力があるとされていた菖蒲(しょうぶ)と薬草の蓬(よもぎ)を屋根の端に刺し、その家や神社にこもることによって災厄を払って穢れを浄化できると考えられていたのです。

 

やはり節目に厄払いをしていたのですね!けどそんな仕方...(-_-;)

 

また隣の国の中国では、昔から5月(旧暦)の時期は病気が流行し、亡くなる人が多かったことから5月は悪月とされており、さらに5が重なる5日は悪日としていました。

そのため厄除けに菖蒲や蓬を門に差し、菖蒲を浸した酒を飲んで厄除けや健康祈願をするという風習がありました。

 

この中国の風習が奈良時代に日本へ伝わり、やがて現在の日本独自の端午の節句の風習が生まれました(^^)

端午の節句は5が重なることから「重五(ちょうご)の節句」と呼ばれたり、邪気を払うために菖蒲を飾ったり菖蒲酒を飲むことから「菖蒲の節句」とも言われます。

 

江戸時代になり、貴族から武家中心の時代になると「菖蒲」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから「尚武の節句」として武家の間で盛んになり、家の跡継ぎとして生まれた男の子が無事成長していくことを祈って、一族の繁栄を願う重要な行事となったのです。

 

 

なぜ鯉のぼりや兜を飾るの?

 

端午は男の子の節句とされ、男の子の成長や健康を祈り、鎧兜武者人形金太郎武蔵坊弁慶を模した五月人形などを室内にの飾り段に飾ったり、庭先に鯉のぼりを立てるのが典型的な祝い方になりました。

それぞれ縁起物できちんと意味が込められているんですよ(^^)

 

端午の節句 鯉のぼり

 

なぜ鯉のぼり?

端午の節句に鯉のぼりを立てるようになったのは江戸時代の中頃と言われています。

 

鯉は清流ではもちろんですが、池や沼でも生息することができる非常に生命力の強い魚です。

そのため昔から祝い事には鯉を食べ、生命力の強さを頂く縁起物とされていました。

 

また、中国では「ある時、1匹の鯉が激しい滝水に逆らいながら「竜門」を登りきったところ、龍へと変化し天に昇っていった」という故事(鯉の滝登り)があります。

 

このようなことから、鯉のぼりにはどのような環境においても生き抜くことができるたくましさを備え、立派に成長してほしい立身出世(りっしんしゅっせ)の想いが込められているのです。

 

元々、日本では将軍に男の子が生まれると「家紋のついた旗」や「幟(のぼり)」を立てて祝う風習がありました。

それが武家へと広がり、町民へと広がっていきました。

そこに中国の故事が結びつき、現在の鯉のぼりの形になったと言われています(^^)

 

 

なぜ鎧兜?

端午の節句に鎧兜を飾るのは、将軍や武家の風習です。

 

鎧や兜は戦をするときの道具と考える人が多いとは思いますが、武将にとっては自分の身を守る大切な道具であるため、我が子の身を守る縁起物として考えられます。

 

その家に男の子が生まれると、我が子の身に危険が及ばず安全に暮らせるようにとの願いを込めて鎧や兜を飾るようになったのです。

また五月人形は主体となる人形のような人物に成長してほしいという想いが込められています。

 

鯉のぼりや鎧兜の飾り方や飾る時期についてはこちらに詳しくまとめてるので参考にしてみて下さい♪

 端午の節句といえば、兜や鯉のぼりですよね(^^)  5月5日に合わせて飾りたいところですが、いざ飾ろうと思うと、どこに飾ったらいいのか?何のために飾るのか?そもそもいつから飾ったらいいのか?疑問がたくさん出てきます(´-ω-`)年に1度のことです...

 

 

端午の節句は何をするの?

 

我が子の幸せを願い鯉のぼりや鎧兜を飾ってお祝いをしましょう(^^)

また、端午の節句には「柏餅」「ちまき」がよく食べられます。

端午の節句 柏餅 ちまき

柏餅に使われる柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないため、子供が産まれるまで親は死なないと置き換えられ、「家系が途絶えない」「子孫繁栄」という縁起物になります。

 

ちまきを食べるのは、中国故事からくるもので「難を避ける」という意味があります。

 

中国(当時の楚)国王の側近に屈原(くつげん)という人望を集めた政治家がいました。

屈原は、他国からの策略を見抜き、王に必死で忠告しましたが受け入れられず、楚の将来に絶望し川に身を投じてしまいました…

それを知った楚の国民たちは川にちまきを投げ込み魚が屈原の遺体を食べないようにしたという故事があります。

 

なんでちまきを投げ込んだの!?〣( ºΔº )〣

他に方法なかったの!?

 

この「柏餅」や「ちまき」ですが地域によってどちらを食べるか決まるようです。

関東は「柏餅」関西は「ちまき」を食べます♪

 

確かに私は西日本出身なので「端午の節句=ちまき」でした!

給食とかにも出てたし。

 

関東・関西以外の地域では柏餅やちまき以外のお菓子が食べられていますΣ(・ω・ノ)ノ

地域によって行事食が違うのですね!

 

他にも邪気払い無病息災の願いも込めて「菖蒲湯」に入ったりします♪

お酒に浸して「菖蒲酒」にしたり、枕の下に引いて「菖蒲枕」にするところもあるそうです(^^)

 

 

《まとめ》

 

いかがでしたか?

 

女の子はひな祭りだけど、男の子は?と思う人も多いかもしれませんが、男の子の節句は「端午の節句」です!

現在では「こどもの日」という方が馴染みがあるかもしれませんね!

 

端午の節句の風習は、中国や武家中心の時代に生まれました。

また、食べるものも地域によって違うのですね(-_-;)

知らないことも多かったです…

 

我が子にたくましく立派に育ってほしいと願う親の愛情がいっぱい詰まった行事ですね♪

今年はしっかりと意味を知った上で端午の節句をやりたいと思います(^^)

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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